3 初めての魔法

閉鎖された町で少年と暮らした一年

 朝は水を汲みに井戸と自宅を何度も往復し、終われば一緒に家事をしてその後に食料探し。空いた時間にエイジは本を読み、勉強はカタリナが見てやった。

 エイジは知識に貪欲で、教えれば教えるほど乾いた土壌が水を吸収して潤うように知識を自分のものにしていく。とても飲み込みが早い子だった。
 特徴的な名前から移民が暮らす集落に住んでいたと推測できるが、よくこんな賢い子がいたものだとカタリナは感心していた。

 

 日が沈み、カタリナは清拭せいしきのあと寝室へ向かうと、先に寝たと思っていたエイジが蝋燭の明かりを頼りに本を読んでいた。

「エイジ、まだ起きてたの?」

 エイジは没頭して読んでいたらしく、カタリナの声でハッと頭を上げた。
 部屋の窓は気温の上昇を防ぐために日差しが入りにくい小さな窓しかなく、月明かりは頼りにならない。
 魔法灯などの照明も使えないハローブで夜を過ごすには蝋燭の明かりが頼りだった。蝋燭も有限のため、日の入りと共に眠る生活をしなければならなかった。
 その貴重な蝋燭の近くで本を読んでいたエイジはバツの悪そうな顔をする。

「……続きが気になって……」

 昔から子供に人気の冒険物語だ。どうしても読みたいのか、エイジはその本を閉じかけたり開いたりする。
 その様子を見てカタリナはふっと笑った。

「蝋燭がなくなるから本は明るい時に読んだ方がいい。目も悪くなるしね」
「ごめんなさい……」

 エイジは名残惜しそうに本を閉じようとする。

「あ、待って。いいものあげる」

 カタリナは棚から何か取り出してエイジの持つ本に細長いものを挟んだ。

「この栞を途中まで読んだところに挟んでおいたらいいよ。これで明日続きが読めるでしょう?」
「うん……! しおりって言うんだね。ありがとうカタリナ!」

 薄い木に穴を開けて紐を通した木製の素朴な栞。それを指でなぞり、エイジは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 可愛い笑顔に癒やされながらカタリナも眠りについたが、エイジは時々このようなことを繰り返した。没頭すると止められない子だった。

 

 毎日一緒に過ごす中でエイジは少しずつ心を開いて笑顔を見せるようになってきた。笑顔が可愛い子だとようやく知ることができた。
 遊びのない生活だが、ふざけたりする心の余裕も見られるようになった。

 日々の食料探しも普通にしていたって面白くない。どちらがたくさん見つけられるか競争をすれば、エイジは全力で集めてくる。
 最初はカタリナが手を抜いてエイジを勝たせていたが、日を追うごとに本気でやらないとエイジに勝つことすら難しくなっていた。負けまいと本気でやっているとカタリナの体力の方が燃えカスになってしまうほど、子供の本気はすごいと思い知った。

 カタリナは子供との接し方が分からず、手を繋いで外へ出たり時には抱っこもした。手を繋ぐと喜んでくれたが、抱っこをするとエイジはとても恥ずかしそうにする。
 寝る時は必ずお休みの挨拶で頬にキスをして眠る。お休みのキスはカタリナの子供の頃からの習慣だったが、エイジは違うらしく最初の頃はとても驚かれた。
 色々と接し方を間違えているのだろうけれど、面映ゆい顔をするエイジが可愛かった。

 夜、眠るエイジを眺める。弟がいたらこんな感じなんだろうか、と。
 エイジはいつも琥珀色の大きな目でカタリナをすがるように見つめる。それが庇護欲をそそり、愛らしかった。
 子供はきっと本能的に愛されようとするのだろう。この子は親に愛されなかったんだろうか。こんなに可愛くて賢い子なのに。

 カタリナは一人娘だったため、両親に愛された子だった。
 どんなふうに愛情を注がれたか思い出しながら、ここにいる間だけでもエイジを可愛がろう。少しでも誰かに愛されたという記憶があれば、これからも強く生きていけると思えた。

 この子を可愛がって情を移しても、そのうち別れる時が来る。その時に自分の選択を後悔しないだろうか。
 一抹の不安を覚えながらカタリナは目を閉じた。

 

「エイジ、今日は料理を教えてあげる。まずは火の使い方なんだけど――」

 保存食をそのまま食べるばかりでは飽きるし、しばらく温かいものを食べていないだろうと思い、エイジを調理場へ連れて行った。

「ぼく知ってるよ。ボタンをおせばナベが熱くなるやつでしょ。熱かげんはボタンで強さを変えるだけだよね」

 カタリナは目を丸くした。
 エイジの言うそれは、カタリナが人生でまだ数回しか触ったことのないものだった。

「それは加熱魔導具のことだね。この家にはないから、かまどで火を起こさないといけないの」
「え……っ」

 エイジは驚愕の表情でカタリナを見上げる。その様子から、加熱魔導具が今は当たり前の時代になっていることが窺えた。
 魔法の原理で動く調理器具が出た当時はとても高級品だった。ハローブで加熱魔導具が置いてある家を見つけたのは先日も含め、両手の数もない。
 カタリナは世代間のギャップを感じながら、かまどに火をつける方法を教えた。

「この棒の先についてる石が摩擦で火をおこせるから、かまどの中に置いてある黒炎石を叩いて火をつけるの。消す時は扉を閉めて酸素をなくせば火が消えるから」
「へえー!」

 エイジには何でも新鮮に映るらしい。

「あ。あのね、カタリナ。試しにまほうで火をつけてみていい?」
「魔法……?」

 そういえば持ち帰った本の中に魔法の本があったなと思い出す。本を読んだだけで魔法を使えるようになるだろうか。
 学校で魔法の実技を教わるのは魔法の才能が認められた子供だけ。エイジはその前に学校を辞めていると聞いた。
 疑問に思ったけれどエイジがやりたいことは何でもやらせてやりたくて、カタリナはいいよと答えた。

「まほうはイメージしてねがうだけなんだって。えっと、集中して……火をイメージして……こう!」

 かまどの中に手を向けたエイジが声を発すると、黒炎石は赤く色を変えたと思うと生き物のように勢いよくかまどから炎を吐き出した。

「エイジッ!」

 エイジをかまどから離すように抱きかかえ、すぐにかまどの扉を閉めた。魔法の威力が強すぎたようだ。
 カタリナは火傷などしていないかエイジの体を確認する。

「どこも怪我してない!?」
「だ……大丈夫……」

 エイジはこわばった顔をしていたが怪我はないようで、カタリナはほっと胸を撫で下ろした。

「……ご……ごめんなさい……っ」

 青ざめた顔でエイジは固まったまま動かない。予想外のことが起きて怖かったのだろう。

「エイジが怪我してなくて良かった。それにしてもすごいねえ! 本当に魔法が使えるなんてびっくりだよ!」

 人から実技を教わったこともなく、本を読んだだけで魔法を使えるようになる子供はそういない。
 エイジは魔法の才能がある子だ。どこかの大きな学校に入って学べばきっと優秀な人間になれる。この子がここで過ごしている時間を非常にもったいないと感じた。

 エイジは目を大きく開いて真っすぐカタリナを見つめる。

「……おこらないの……?」
「どうして?」
「わ……悪いことしたから……」
「悪いこと? 失敗したくらいで怒らないよ」

 失敗は悪いこと――。
 カタリナは以前、エイジの体にあった痣を思い出した。強張ったエイジの様子から、失敗は体罰を受ける状況を連想させるのかもしれない。
 怒っていないと分かるようにカタリナは微笑んで見せた。

「失敗は悪いことじゃないよ。今のうちに色んな失敗を経験したらいい。次はどうすれば失敗しないか学ぶことができるから。エイジはたくさん失敗を経験して、学んで、大人になればいいの」

 カタリナがそっと手を伸ばせばエイジはビクッと肩を震わせるが、そのままエイジの頭を撫でた。

「エイジはすごく魔法のセンスがいいんだね。天才なんじゃない?」
「……それはない、と思う……」
「魔法の練習ならいつでも付き合うから、一人でしないで声をかけてね」
「うん」

 緊張が解けたようにエイジの表情が和らぎ、カタリナはエイジと一緒に料理の準備を始めた。

 二人で生地をこねて薄焼きパンを作る。
 カタリナはエイジが食べやすいよう小さめに作り、エイジは鉄板からはみ出しそうなほど大きな生地を成形した。そして缶詰の野菜と豆を煮た。

「カタリナおいしい!」

 エイジはパンやスープの作り方を知っていた。
 丁寧に教えずとも理解が早く、手つきの良い動き。普段から料理もしていたのでは。外で働いて家で家事もする。十歳の子供にそんな体力があるんだろうか。
 毎日くたくたになっていたことは想像に難くない。

「良かった。たくさん食べて」

 エイジは焼きたてのパンを千切ってスープに浸しながら口に運び、焼いたパンは次々に消えていった。
 美味しそうに頬張るエイジへ憐憫の情が湧く。この子に腹いっぱい食べさせてやりたい。
 エイジにいつまでお腹いっぱい食べさせてやれるか分からない。なら、食べられる時にたくさん食べさせてやろうとカタリナは思った。

「ごちそうさまカタリナ! あらい物はぼくがするから手伝わないでね!」

 お腹いっぱいになったエイジは満面の笑みで、金属の皿や鍋を外へ運んでいった。加熱殺菌されたサラサラの砂がどこでも手に入るので、食器は砂で汚れを落として布で拭くだけだ。

 すっかり一人で片付け終えたエイジは満足そうな顔を見せるので、可愛くてまた頭を撫でた。
 初めて会った頃、肩の位置にあったエイジの頭はいつの間にかカタリナの顎下にあった。